大東亜戦争 (東アジア戦争) 太平洋戦争 年次出来事から抜粋
当時の政府(御前会議中心)<<明治維新からの流れ
2022年8月15日終戦記念日 =戦後77年 終戦年に生まれた方は77歳
1937年(昭和12年)2月2日 林鉄十郎内閣発足)5月31日辞職
第一次 近衛文麿内閣発足
7月7日 盧溝橋事件<北京西南方向で起きた
日中戦争発端と成る事件
8月28日トヨタ自動車設立
9月11日後楽園球場開場
12月21日世界初 カラー長編アニメ映画 白雪姫が公開
1938年(昭和13年)
3月18日 メキシコがメキシコ国内に有る外国所有資源を国有化
4月1日国家総動員法公布=戦争準備を始めた
5月12日 ドイツが満州国承認
5月17日 日中戦争 本格化
5月20日 中国 国民革命軍がアメリカ製 マーチン139W爆撃機を使って九州領空侵犯
7月3日 (ドイツ自動車)VWタイプ1 発表
8月24日日本海軍機が中華民国旅客機を撃墜
10月3日 国連脱退
日本Vs中華民国の日中戦争が素で太平洋戦争へ
1939年に起きた出来事 検索 Enter
1月5日 平沼騏一郎 内閣発足
1月27日 ロッキード P38初飛行
2月23日 日本 理化学研究所 原子実験室 設置
4月1日 ゼロ戦 初飛行
5月13日 NHK研究所 国産テレビ電波試験発信
8月30日 阿部信行(陸軍大将)内閣成立
9月1日(昭和14) 第二次世界大戦勃発
ドイツがポーランドに侵入、コレに対しイギリス、フランスが宣戦布告
ソ連(ロシア)もポーランドへ侵攻
==ヨーロッパは戦場と化した
9月19日国家総動員法発令 <日本の国家総動員法で検索
物価 家賃 賃金 凍結令 発令
9月23日(日中戦争)大本営>シナ派遣軍総司令部設置
1940年、、Enter 食糧難?配給制度始まる
1月14日 阿部内閣総辞職
1月16日 米内光政(海軍大将)内閣成立
4月13日 NHK 初のテレビドラマ実験放送
6月1日 生活必需品10品目 配給切符制導入 ==(資源を止められ苦悩している)
7月7日 贅沢品等製造販売制限
7月16日 米内内閣総辞職
7月22日 東條英機 第二次近衛内閣成立
7月26日 大東亜新秩序 国策要綱閣議決定
8月8日 大和 進水
9月7日 ドイツ イギリスへ大規模爆撃開始 約4万人が死亡
9月27日 日独伊 3国同盟締結 (何れも独裁政治下)
11月1日 戦艦 武蔵 進水
11月2日 国民服 令 公布 ==(一種の軍服)
11月20日 ハンガリー ルーマニア スロバキア が 三国同盟に加盟
1941年
3月1日 国民学校令 公布 8年生 (小学校を国民学校に改称)
3月30日 ドイツで世界初 ジェット戦闘機 初飛行
5月12日 ドイツ人 コンラート ツーゼが世界初 プログラム式コンピューターを公開
5月15日 イギリスで世界二番目 ジェット機初j飛行
7月16日 内閣総辞職
7月 18日 第三次近衛内閣成立
8月1日 アメリカ 日本軍インド進駐制裁で石油輸出禁止
8月30日 金属類回収令 公布
10月16日 第三次近衛内閣総辞職
10月18日 東條内閣 成立
11月5日 御前会議で国策遂行
11月23日 真珠湾 攻撃舞台 単冠湾に終結
12月1日 御前会議で対英米開戦を決定
12月7日 真珠湾攻撃
年末にかけて各国同盟宣戦布告各地で戦闘が起きる
1942年
日本南方戦線で勝利を得る
2月1日 味噌醤油の配給制 衣料のキップ配給制
中国では毛沢東 新民主主義論を発表
2月2日 日本国防婦人会発足
2月8日 日比谷公園で戦勝祝賀会開催 各地で開催
2月21日 食糧管理法 公布
2月23日 税務代理士法 公布
〜〜4月にかけて南方戦線で勝利
4月18日 東京 名古屋 四日市 神戸にB25爆撃機初 空襲
4月29日 NHK交響楽団の前身が出来る
6月5日 日本海軍 主力空母 2隻がミッドウエー海戦で壊滅状態となる
6月6日 日本海軍 主力空母 2隻がミッドウエー海戦で沈没
事実上 日本海軍機動部隊が壊滅
コレを基に日本軍劣勢になる
7月1日 関門トンネル 貨物営業開始
8月13日 ディズニー アニメ映画 バンビを発表
8月23日 甲子園球場で文部省主催 中等学校野球大会開幕
10月3日 ドイツのロケット 初の宇宙到達
1943年
1月9日 南京国民政府が米英に宣戦布告
2月1日 ガダルカナル島から日本軍撤退
3月5日 イギリス ジェット戦闘機 初飛行
3月25日 日本アニメ 桃太郎の海鷲 封切り
4月18日 山本五十六海軍大将 飛行機撃墜され戦死
5月31日 御前会議で大東亜政略指導大綱 決定
6月3日 戦時必需日用品262品目指定
6月4日 日本男子 国民服 女子 モンペ
6月8日 戦艦陸奥 呉沖で暴沈
6月25日 学徒戦時動員体制要綱 決定
7月6日 創価教育学会 創立者 牧口常三郎 戸田城聖 治安維持法違反で逮捕
8月1日 日本統治下の朝鮮で徴兵制しかれる
8月16日 上野動物園で猛獣毒殺 後慰霊法要
9月30日 御前会議 絶対国防圏を定める
10月12日 学徒出陣 を決定
10月21日 明治神宮外苑競技場で 第一回 学徒出陣壮行会
11月1日 駅弁が米なし 芋弁に
1944年
1月26日 東京、名古屋に建物疎開命令出る
2月29日 歌舞伎座 東劇 南座 劇場閉鎖令
3月 4日 宝塚 休演
3月31日 日本海軍元帥殉職
6月6日 ノルマンディーに連合軍上陸
6月23日 北海道 昭和新山誕生
7月3日 ビルマから撤退(投入8万6千 帰還兵1万2千) 傷病者が殆ど
7月7日 サイパン守備隊 玉砕
7月18日 東條英機内閣総辞職
7月22日 小磯國昭 内閣発足
8月2日 テニアン島日本軍玉砕
8月4日 小磯内閣 国民総武装 閣議決定 竹槍訓練始本格化
初の集団学童疎開列車 上野を発つ
8月10日 パラオ諸島 日本軍守備隊玉砕
8月23日 学徒勤労令 女子挺身勤労令 公布施行
9月8日 ドイツ V2ロケットでロンドン攻撃
10月10日 沖縄本島 発空襲
10月12日 台湾沖空戦 米空母19隻撃破<<日本大本営報道、、、嘘
10月21日 神風 特攻隊 初出撃
10月24日 テイテ沖海戦で 日本海軍 空母と武蔵 撃沈される
10月25日 神風 特攻 本格化
11月3日 風船爆弾 放す
11月13日 プロ野球 休止
11月24日 B29 東京初空襲
11月 重巡洋艦 熊野 戦艦 金剛 沈没
〜〜1943(昭和18)年頃より〜1944年にかけて南方戦線で劣勢と成る
政府は竹槍訓練や学徒疎開を始めた、、
1945年(昭和20年)
2月14日 近衛文麿が昭和天皇に米英との講和を唱える旨伝える
3月10日 東京大空襲
3月12日 名古屋大空襲
3月13日 大阪大空襲
3月17日 神戸大空襲
3月19日 名古屋大空襲
4月1日 沖縄本島 米軍上陸
4月7日 大和 沖縄へ途上中 撃沈される
4月15日 川ア周辺空襲
4月27日 イタリア ムッソリーニ 銃殺される
4月30日 ドイツ ヒットラー夫妻 自殺
5月5日 日本から飛ばした風船爆弾がアメリカオレゴン州で爆発
民間人6人死亡
5月7日 ドイツ降伏
5月11日 京都御所空襲
5月14日 名古屋空襲 名古屋城消失
5月25日 東京空襲
5月29日 横浜空襲
5月31日 台湾 台北市空襲
6月5日 神戸空襲
6月8日 日本 御前会議で本土決戦方針を決める
6月9日 名古屋 熱田空襲
6月10日 土浦周辺 海軍航空施設など空襲
6月17日 鹿児島 空襲
6月19日 静岡 福岡 空襲
6月22日 昭和天皇 (最高戦争指導会議で)終戦の意図を示す
6月23日 沖縄守備軍司令官 牛島満 自決(沖縄戦終結)
国民義勇兵役法 公布
6月26日 京都西陣 空襲
6月28日 佐世保 空襲
6月29日 岡山 空襲 岡山城消失
7月6日 千葉 空襲
7月7日 日本初 ロケット戦闘機初飛行中 墜落
7月9日 和歌山 空襲
7月10日 仙台 空襲
7月12日 敦賀 空襲(日本海側初空襲)
宇都宮 空襲
7月14日 アメリカ空母艦載機 北海道 空襲
7月15日 イタリア王国 対日宣戦布告
北海道 室蘭 アメリカ戦艦による砲撃で壊滅
7月16日 アメリカ原爆実験成功
7月17日 ポツダム会議
沼津 空襲
7月24日 呉 空襲 (戦艦 日向 空母 龍鳳 大破)
7月25日 保戸島 空襲
7月28日 アメリカ エンパイヤステート ビルにB25爆撃機激突
青森 空襲
山口 空襲
呉 空襲 (燃料不足で動けない軍艦沈没)
8月1日 長岡 空襲
8月2日 ポツダム会議終了
富山 空襲
8月3日 病院船(橘丸) 兵員兵器密輸で拿捕される
8月5日 前橋 高崎 空襲
8月6日 広島 原爆投下
都城 空襲
8月7日 豊川海軍工廠 空襲 女子、国民学校児童ら2477名死亡
国産発のジェット機 初飛行
8月8日 ソ連 日本に宣戦布告
福山 空襲
8月9日 長崎 原爆投下
御前会議でポツダム宣言受諾を決める
8月10日 花巻 空襲
8月14日 御前会議で無条件降伏 決定
京橋 空襲
秋田 伊勢崎 熊谷 小田原 岩国 光 空襲 (大戦最後の空襲)
8月15日 昭和天皇 無条件降伏を発する =日本終戦の日
鈴木貫太郎 内閣総辞職
8月17日 東宮内閣 発足
8月18日 満州国 皇帝が退位 満州国消滅
8月18日 内務省 地方長官に占領軍向け性的慰安施設設置を命令
8月26日 特殊慰安施設協会設立
8月28日 占領軍 厚木基地に上陸 横浜に連合軍最高指令本部設置(GHQ)
9月2日 大日本帝国政府 降伏文書に署名
以後 9月15日にかけて、各地戦線の司令官らが降伏文書に署名
9月26日 南方戦線から最初の復員兵別府に着く
こうして整理された記録を観ると、、魔の昭和20年が解かる
また、米軍は何故?完膚無きまでに日本を空襲したか?
真珠湾=許せない==許さない<<米国民感情
当時の腐った日本政府を8月18日26日の記録に見る事が出来る”!!
日本人は日本の史実を学び直す必要が有る”!
政府>軍部が高慢に振る舞い、
日本国民のみならず、国外の民人をも巻き込んだ太平洋戦争で日本は焦土と化した
死んだ多くは兵士であって、士官級は命令してたに過ぎない
多くの士官は戦犯を逃れ、口を閉ざしたに過ぎない
コノ流れは現代、警察、自衛隊 海保等に強く残っている
自由平等と言うが
議員や行政、省庁官僚にも観られる高慢さも残留している考えれる。
太平洋戦争の流れ年次要約
1937年〜1940年 戦争準備 (軍部が進めた)
1941年 12月7日 真珠湾攻撃 <太平洋ど真ん中の軍港攻撃したに過ぎない=海戦
日本国内では奇襲攻撃と美談??
アメリカ国内ではフェアーじゃないと批判され反日感情に灯が点った
1942年6月5日 ミッドウエー海戦で日本太平洋艦隊の主力半分を失う
翌6日 太平洋機動部隊壊滅状態になる。
日本勝った 勝った と (糠喜び)はココマデで、、 <<約半年だけ
コレ以後 太平洋上の制空権はアメリカ優性となり=海上輸送(後援物資補給路)断たれる
1943年4月18日 山本五十六 海軍大将戦死===南方戦線は沖縄まで押し戻されていた
1944年7月18日 東条内閣総辞職==一年後には劣勢拒めず==責任逃れ”!!
8月4日 小磯内閣 疎開 竹槍訓練
==危機迫る、竹槍で抗戦<時代錯誤も馬鹿げてる
10月10日 沖縄本島 初空襲に遭う
11月24日 東京発空襲から〜〜
1945年8月15日 〜〜まで日本の都市、工業地帯は焼け野原となった
1943年夏頃に日本の敗戦(海洋補給ルート断絶)は観えていた訳で
時の政府はコレを隠し、戦争始末の尻拭きに苦慮していた
結果、多くの国民の生命と財産を海の藻屑と化した訳で
改めて、この戦争責任は大きい が、 靖国神社に祀った
背景には士官学校=現代 防衛大学 海保大学 <<日本軍指揮官学校の
戦う術の卓学文文判断から来ている、、、
また、当時の御前会議を観る様に 天皇崇拝を推し進め、
其の側近らが上から目線、高慢、威厳 重視(身分保身)の政策を進めたに過ぎない
多大な被害に遭ったのは全ての日本国民と学ぶべきと思う
戦争勃発と同時に小さな島国日本では食糧難 原材料欠 勿論燃料も
軍艦軍機だけじゃない、戦車トラック等など 戦には不可欠で
小さな小さな島国が大国相手に力(軍備)で対抗しようなんて考えが馬鹿げてる
現政府 岸田内閣
ウクライナで戦争が、、同盟国*****で*****
結果、穀物値上げ、原油、天然ガス不足などなど、、
===士官学校流れの判断に過ぎず
**党**党の党員は、ばら撒かれた¥¥¥に票を投じたに過ぎず
投票率52%<<内50%第一党としても有権者の25%に過ぎない
4人に一人が支持しているに過ぎず、
ココが勝った勝った自惚れて国政引率するならば、
残り3人は迷惑千万負担のみ強いられてる
何故>太平洋戦争を始めたか???
鎖国日本の間に、南方方面ではポルトガル、スペイン、イギリスなど
早くから貿易拠点を開き、権益を有していた
明治に文明開化して、一気に産業革命が起き、資源の確保輸送に乗り出したが
既に前記の様に交易先進国が抑えていた
また、富国強兵論を取り入れ軍部が台等して来た背景もある、、
田舎の片隅で、自己学習中の小生でさえコノ程度の分析は出来る
>>ウクライナ騒動から一連の流れ、
太平洋戦争でロシアが日本に宣戦布告したのは
日本無条件降伏の7日前、多く戦わずして、北方領土を手に入れた”!
<ロシア手法 =慌てない確実に
国事を荷なう先なら解かりそうな判りそうなものを
これでは日本失落止まず、腐敗に満ちた空気も払拭出来ない
(空気悪いから==コロナ患者は増える一途)